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Dio(ディオ、海外名 Dio Kobayashi、1972年8月28日 - )は、石川県羽咋郡志賀町出身の日本のサーカスプレーヤー。 ウェップジャパン所属。 身長172cm、体重68kg。血液型はA型。 サーカスを中心に映画、テレビドラマ、舞台、テレビコマーシャルと幅広く活躍している。 Dio はデビュー時のキャラクター名が定着した呼び名。海外ではDio.Kobayashiの名で活動。本名は小林睦史(コバヤシアツシ)。この他にも、ピエロジョーカー、乙羽起之介(オトワキノスケ)、Kinosukeなどのキャラクター名でも活動。Ramuは長女(元妻との実子)。元妻はモデルのYu-Ko。 == 略歴 == *石川県立羽咋工業高等学校出身。 *卒業後、1991年上京。テレビ番組制作会社に就職するも、1年で退社。同年、友人の経営するイベント会社を手伝っている時に鞭を使うアメリカ人のパフォーマーBenと出会いパフォーマンスを学ぶ。鞭パフォーマーとしてデビューするが日本ではなじみの無い鞭という事もあって陽の目を浴びることなかったことから、芸幅を広げるためサーカスパフォーマンスを取り入れる。 *1993年、東京で開催されたモーターショーで安全ネットなしでの空中ブランコを行ったことが話題となる。 *1997年世界にも類を見ないDioのムチ・パフォーマンスが海外イベンターの目に止まり、世界の精鋭が集まる「インターナショナル・トップ・エンターテイナー・ツアー」の日本代表に推挙されアメリカで開かれた世界大会の大舞台に立つ。同年、金城大学短期大学部に入学し絵画と心理学を学ぶ。 *1999年、アメリカのコロンビア大学に入学し渡米。ディズニーワールドのアトラクションショーやラスベガスサーカスショーに参加。 *2000年、サンフランシスコのサーカススクールに日本人として初めて入学を果たし、台湾の哈哈雑技団、カナダのシルクドソレイユ社の作品、ロシアのマーシリコ(サーカス団)に参加。 *2001年元X JAPANボーカルTOSHIとの異色のセッションでチャリティーツアー『Wa』に参加。日本のアパレルブランドのファッションショーにモデルとして起用される。 *2002年、スペシャルアドバイザーとしてアニメ「カレイドスター」の制作に参加。『美少女戦士セーラームーン』、『おジャ魔女どれみ』などを手がけた佐藤順一が海外のサーカスで活躍していたDioに手紙を書きサーカスアニメの構想を話したところ、その熱意から制作への参加を承諾しテレビアニメ化が実現した。またこの作品で初めてアニメ制作のスペシャルアドバイザーを担当している。(ただしDio本人は「自分はアドバイザーというよりも『イントロデューサー(紹介者)』である」と述べている)本作品にはサーカスプレーヤーDioの姿がそのままアニメキャラクターとしても登場。 *2003年にモデルのYu‐koと結婚し同年、長女Ramuの誕生と共にサーカスプレーヤーの活動を休止。 *2004年、『オペレッタ狸御殿(鈴木清順監督)』映画初出演。翌年には日本のメジャーミュージシャングループケツメイシのシングルアルバム『涙』のジャケット制作に携わるなどマルチぶりを発揮する。2年間の結婚生活の末2005年の12月に離婚。時を同じくして休止していたサーカスプレーヤーを再開する。再開後はKinosuke Otowaを名乗り、娘(Ramu)と共にステージに立つ。 *2007年リクルートエージェントの広告でサラリーマン姿で空中ブランコに挑戦し2年間に渡り広告が使用される。 *2008年、『僕の彼女はサイボーグ(クァク・ジェヨン監督)』ではリアルな迫力を求める監督の要望でパフォーマンス指導を担当し、俳優田口浩正にファイヤーパフォーマンスを指導。 *2008年、日本発となる鞭の協会日本鞭競技協会(日本スポーツウィップ協会) の設立メンバーに加わる。代表に就任。今までの経験を生かし海外団体との交流の架け橋役を勤める。 *2008年彼のこれまでの海外での功績が認められEuropean Circus Associationのメンバーとなる。サーカスを持たないフリーランスのパフォーマーとしては日本人初となり、海外でも数少ない中の1人。 *2010年新鋭サーカスパフォーマーの登竜門として有名なサーカスの国際コンテストYOUNG STAGE (スイス)にバックステージマネージャーとして参加。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Dio Kobayashi」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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